『名前はゴフレという』
「俺は新八だ」
『よろしくな、人間』
「ああ、こちらこそ、犬コロ」
むちゃくちゃな会話をしつつ、自己紹介が終わる。
早朝の公園。朝露に濡れる芝生の上に新聞をひいて座る。春があけたばかりの季
節、まだ寒い。あたりを見回すと人影はまったくない。新八がイヌと会話していると
ころを笑われる心配はなかった。
新八の横には、一匹の犬がいる。このぱっとしない、『おー』って感じで鼻水たら
してそうな犬が、ゴフレだ。
「で、犬コロは何しに来たんだ?」
『来たとは?』
「魔族なんだろ?おまえ」
『ああ、正確には魔物の子供だ』
「別にかわらんだろう」
『……大違いなんだがな。原始動物め』
「なんだ?聞き取れなかったが」
『なんでもない。
王になる為の、試練の途中だ』
「俺のところに来た理由が、それか?」
『ああ。魔本の持ち主を探して、極東に来た』
「魔本?これがか?」
と、手にした灰色の巨本を見せる。表紙に幾何学模様が模されており、中身を見る
と読めぬ文字ばかりで新八はそれ以上内容を見ようとしなかった。
『魔本。魔法を司る為の操縦桿だ』
「そうじゅうかん?」
『ああ……』
と、途端にゴフレの声が小さくなる。
魔本をしげしげと眺めていた新八も、何者かの気配を感じ、顔を上げる。そこに
は、一人の少年がいた。左の耳たぶを、触り続けている。すぐに新八も思い出す。昨
晩のガキだ。
「なんだ?ボウズ?」
「……」
「昨日の、仕返しか?まあ、いい心がけだが……?」
少年の背後から、小さな影が見える。幼児とも思える子供であった。少年と似た様
な服を着てはいるが、どこか雰囲気が違って思えた。
『いかん!』
「!?」
突如、ゴフレが新八に体当たりをかます。横からの突然の衝撃に驚きつつ、何とか
受け身を取りその反動で立ち上がる。
「なにしゃがる、このイヌ!!」
江戸弁で啖呵を切って、元いた場所を見ると、芝生があったはずの場所、新聞紙を
ひいていた場所が、ごっそりえぐられて土色が見えている。
「……な!?」
引くつかせた顔を作り、驚く新八。
「なにが起こった!?」
『あの少年の影にいる子供が、魔物の子供だ!魔法を使える!』
頭の奥で、ゴフレの叫びが聞こえる。
「そうか!」
『そうだ!新八も、魔法を唱えろ、これは戦いだ!』
「知るか!」
『はぁ?』
ゴフレが間の抜けた声を上げる。
「コレ持っとけ!」
新八が、灰色の本をゴフレに投げつける。
「クンクーーーーーーーーーーン!!」
(なにやってんだ、このクソ人間!!)
ゴフレが心の中で叫ぶ。魔本を持たないと、ゴフレとの言語会話はできない。
いままで新八が聞いていた声は、新八の頭の中に送り込まれてきたゴフレの言葉
を、魔本を仲介として脳にて言語として構築して脳内で会話神経に直接話し掛けてい
たのだ。つまり、魔本はゴフレと新八の、いわゆる中継所である。
アンテナに当たる部分がなくなれば、テレビが見れなくなるようなものだ。
したがって、新八が魔本を手放した時点で、ゴフレの言葉を新八が理解でいなくな
る。それが『クーン』だ。
新八は、その子供に一瞬で肉薄すると、鳩尾に向けて手加減した拳をつきたてる。
これで子供が気絶するのが、人類の常識である。
両足を、地面に向け力を発し、できるだけ力を分散させつつ、拳の延長線に力を向ける。が、
「……いっ!」
拳に伝わる、鋼鉄の感覚に悲鳴をあげる新八。痺れた右腕を抱え、間合いを開ける。
「人間じゃない!?」
「クーーーーーーーーーーーーーーン!」
(魔物の子供だって、いっただろアホ!)
ゴフレが届かぬ言葉を投げかける。新八は、まったく気にしていない。
手加減していたから良かったものの、本気で殴っていたら手首がやばかったかもし
れない。いくら新八の拳法でも鉄を断つ技や力はない。それほどに硬かった。
――なら、崩拳か?
新八の頭に、戦闘に対する考えがよぎる。
相手が生物体であることは、確かなのだから体内に空洞に当たる何かがあるはず
だ。内臓でもいい、血管でもいい。細胞でもいい。包み込まれているものがあれば、
反応を出すはず……。
自分の中で答を出すと、構えを変える。スタンスを下げ、気を練る。
その新八の変化を知ってか知らずか、少年は本を開いて声を上げる。タイミング
は、結果的に新八の行動を阻むものになった。
『ボンス!!』
魔物の子供の手から光が飛ぶ。バスケットボール大の球体が、鳥の速さで新八を捕
らえる。
新八も、なんとなく想像できていた。この球体が先程の爆発元であることを。さす
がに触りたくないので、左に横っ飛びに避ける。
後方の地面が膨大な音を上げて、爆発する。
そのとき、新八の意識が爆発に向いていた。視覚は少年を向いていたし、聴覚は爆
発に奪われていた。
「おっさん?」
足元で声がする。
子供がいた。悪魔のように口を裂き、犬歯が笑う。新八も不覚なことに背中に一筋
の冷や汗が流れた。
強烈な頭突きが新八の腹に突き刺さる。
「ぐ……!!」
なんとか意識を保ち子供を睨む。いや逆だ。睨むことで意識を保つ。自分が後方に
吹っ飛ばされたおかげで、相手との間合いが広がる。不幸中の幸いと思ったのは少し
後のことだが。
本の主である少年が、新八に言う。
「知らないのか?」
新八も、荒い呼吸を吐きながら少年の方を向く。
「この子供は魔物の子供。人間とは違う体の強さを持っている。おっさんの自慢の拳
法もこのガキの前では意味を持たないのさ」
「こら、ボウズ」
涙目の新八が、なんとか声を上げる。
「俺はオッサンじゃねぇ……まだ、20代だ」
ゴフレが、新八が本の主になって、本当に後悔した瞬間だった。ここまでアホだと
は思わなかった。
「クーーーン」
ゴフレが、本を口で掴んで新八に近寄る。本を、新八の体に押し付けると、開口
(?)一番叫んだ。
『大バカか、てめぇは!?』
「ぐは」
新八が思わず、耳を塞ぐ。頭の中から聞こえてくる声を耳を塞ぐことで、逃れよう
とするこの男の真意を掴みかねる、ゴフレ。
「おまえが、大声で叫ぶな、頭が割れる!」
腹を抱えて頭を抱える新八の格好は、なんとなく笑えたが、今はそんな場合ではな
い。
『いいからこの本を開け。一番最初の文字を読め』
「こんなの、よめねぇよ」
『お前なら、読める』
「決めつけてんのか?」
『読めない時は、お前の頭がいよいよやばい時ぐらいだ』
「あにおー!?」
魔本をひっつかんで、ページをめくる。不思議なことに、一行の文字列がが淡く
光っていた。確かに……読めた。
その様子をみた、少年が言う。
「まずい!!めんどくなる前に勝負をつけるぞ!」
「判った、行く」
ガキが間合いを詰める。すでに4間もなかったが、詰められてあの光球を避けられ
るはずもない。
『ボンス!!』
光の球が、爆風にのって砂煙が舞い上がる。直撃の距離である。衝撃による激痛に
あえぐ一人と一匹が砂煙の向こうにいるはずである。
だが、違った。
『感謝するぞ、人間』
「こちらこそ、魔界の犬コロ」
変形したゴフレが砂煙の中から現れた。もう、そこには『おー』って感じのアホ面
なイヌはいなかった。
ストーンスキンが体を二回り大きくさせ、犬歯が牙のように鋭くなる。大きさは、
魔物の子供の三倍はあった。
「ルオオオオオオオオ!!!!」
ゴフレの口から、野獣の叫びが吐き出される。頭の中で響く言葉ではなく、実質の
物理的な音だ。
「この魔法は、どういう効果なんだ?」
すこし呆然とした新八がゴフレに尋ねる。
『私の本当の力が、発動する。また、その魔法をお前が叫んだあと数秒だが、体の廻
りに非物質空間を張ることができる』
「ひ、ぶっしつくうかん?」
『バリアーだな、つまりは。そのまま敵につっこめば、攻撃にもなる』
「むう?ま、俺はこの魔法を唱えればいいんだな?」
『魔本は手放すなよ、私と会話ができなくなると同時に力の効力が切れる』
「わかった、他に注意点はあるのか?」
『来るぞ!!』
犬の巨大化に少々戸惑った少年と子供であったが、すでに体制を持ち直し再び戦闘
の間合いになる。
『ボンス!』
『ドルク!!!』
ゴフレの廻りに不可視なフィールドが発生し、ボンスの光球を弾き、そのまま子供
にかぶりつき、ぶん投げる。
「ナイスパス!!」
子供の投げられた先には、拳法の型をとった新八がいた。崩拳だ。今度は、魔本を
手放さず、左手に持って。
『三法連結!!』
三法とは、拳法・気法・体法の三法のこと。説明は長いのではしょる。ちなみに体
法は、体学の事で、どこが急所かなどを学ぶものである。(この子供が人体の常識を
持っていればの話だが)
新八の方へ投げつけられた魔物の子供に、拳を叩きつける。寸分狂わず、気の注入
点に拳は決まり、そこから子供の体内を力がめぐる。内部からの反発力を零に近づ
け、拳撃を最大限まで昇華させる。
反発力がないという事は、新八の手がしびれることもない。
子供は、20Mほど飛ばされる。着地の受け身も取れずに、頭から公園のベンチに
ぶつかる。そのままで立ち上がる感じはない。
思い出したように、少年のほうを向くと、ゴフレが魔本を少年から奪ったところ
だった。そのままゴフレが本を破ると、不思議なことに炎を上げ、じきに灰となっ
た。
『ほら、あのガキも消えたぞ』
頭の奥で、ゴフレが呟く。
そうか、終わったか、と一つ安堵の息を吐くと地面に座ってしまった。膝が笑って
いる。
「感謝するぞ……ゴフレ」
『こちらこそ……新八』
彼が左手に抱えた本が光ったのは、このときである。まあ、気がつくのはかなり後
の話だが。その話は、また後で。