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 新八は、今までずっと独りだった。
 中国から日本に帰って来たころには、自分の周りに誰もいなくなっていた。少ない
肉親のお袋も、新八が大陸で三法をならっている時に死んでしまったらしい。でも、
何の感慨もなかった。
 銀のアクセサリーを東京の街に出て売る。小さな収入で毎日を生きてきた。
 そんな日々が続いていた毎日に、魔物の子供が現れた。『子供』といってもイヌの
形をしたバケモノだ。魔法を唱えれば、変態する。体中の皮膚が岩となり、尻尾から
ミサイルのような石の塊を撃ち放つ。口は悪い、愛想がない、そのくせ新八より頭が
いい。それでも、自分には家族のようだった。それも最初で最後の家族だ。新八には
諦めているものがあった。





 初めて子供を倒してから、一月ほど経過している。その間も3体倒しており、その
間に魔法を一つ覚えた。シッポから石の塊を撃つ魔法『ドルセン』。あまり致死性が
ないので、遊撃程度の目くらましにしかならないのが悩みの種であった。

『なあ、新八?』

 ゴフレが洗い物をする新八の後ろから声をかけた。月数万の安い部屋、いやでも距
離の近い狭い部屋の中でゴフレは頭の中で話し掛けてくる。
 今日の夕飯のメニューはトマトスパ。安いくせに多く食える、貧乏食の基本だ。た
だ、食器についた油が落ちにくいのが、少しわずらわしい。
 ゴフレの灰色の魔本は、ズボンの背中側にはさんでベルトで押さえている。こうす
れば両手を使いながらでもゴフレと会話ができる。

(ちなみにご近所さんに、新八さんが独り言を連発するようになった、と心配されている)

「なんだ?」

『この部屋には、電話はないのか?』

 ゴフレが、和風のくすんだ茶色の部屋を見回して呟いた。まあ、つぶやいたと言っ
ても、新八の頭の中で響くだけだが。ゴフレも日本の生活環境をだんだん理解してき
ていて、いろいろ新八に尋ねるようになった。それはただの探究心を求めての行動だ。

「……ああ」

『携帯電話というのは持ってないのか?』

「……持ってない」

 新八は気分を害したような低い声であった。それに気がついたゴフレは、それ以上
言わなかった。

「しょうがないだろ……」

 新八が、振り向かずに言った。

「かける人間がいないんだから」

『そうか……』

 ゴフレも、一言相づちの様な言葉を放つと、それ以降は何も言わなかった。そんな
いつもと違うゴフレが気になり、新八が振り返ってゴフレの方を見ると、お気に入り
の青いタオルケットの中に入って丸まってしまっていた。



『新八……来たぞ』

 部屋を出るとき、ゴフレが背中のリュックから声を出した。(ペット禁止のため隠
れて部屋を出ている)でっかいリュックがもぞもぞと動くのは見てて気持ちが悪くな
る。

「距離は?」

『500Mはある』

「引っ張って、例の公園まで行く」

 手に持った商売道具を部屋の中において、駆け足で公園に向かう。先日魔物の子供
を倒した公園である。新八自身には見知らぬ人間に危害を加えるつもりはないが、人
が少ない場所が良かった。できるだけ人がいなくて、広く戦いやすい場所が特にい
い。
 魔界の子供たちはお互いの位置を把握できるらしい。ゴフレは魔力を感じられると
いう。新八はもちろんわからない。
 把握できるのは知能の高い魔物のみだそうだ。大人になれば全ての魔物ができるよ
うになるらしい。



「お前は死なないんだろ?」

 その移動中、新八が唐突にこう聞いてきた。新八に突然質問されることは、良くあ
ることなのでゴフレも驚かなくなった。一呼吸もおかずにゴフレが返答する。

『ああ、とりあえず一晩寝れば切り離された足もくっつく。一週間すれば紛失した部
位もそこから植物のように生えてきて、再生するらしい』

「死なないのはすごいな」

『死は人間だけのものだ。人間が決めた人間内の限界に、魔界の者を当てはめるな。
まあ魔界の民も封じられることはあるが……』

「じゃあ、この魔本を焼かれたらどうなるんだ?」

『私が魔界に強制送還になる。その後どうなるかは知らないがな。ただ魔界の王への
挑戦権がなくなるのは確かだ』

「なあ、ゴフレ?俺が死んだらお前はどうなるんだ?」

『なんだ?近いうちに死ぬ予定でもあるのか?』

「わかんねぇがよ。お前と共に戦っているうちにあるかもしれめぇ?」

『あって欲しくないがな。……わからない』

 新八はそれから公園に到着するまで口を開かなかった。ゴフレはそれをいぶかしみ
ながらこれから来るであろう敵の位置を把握した。それは50Mの間隔を保ったま
ま、まったくその距離は縮まらなかった。振り向けば見える距離だが、朝日に光るビ
ルでその姿は見えなかった。



 朝露の滴る公園で人を待つ。相手が恋人であればどれだけうれしいのだろうか。犬
のゴフレにはわからない。思えば、新八に恋人などいないだろう。この一月で新八が
知り合いと思われる人間に合っているところをゴフレは見た事がない。

『新八』

 ベンチに腰かけ、何かを思案する新八に声をかけたゴフレ。薄茶のニット帽の下に
暗い影がみえる。ゴフレはすこし厭な予感を感じたが、首を振ってそれを払いのける。

「ああ、大丈夫だ」


 新八も自分を心配するようなゴフレの言葉の裏を読み取ってか、こんな言葉を返し
た。すこし意味が違うのだが、先に違う人間の言葉に阻まれて聞けなかった。

「お待たせしてしまいましたか?」

 公園の東側の入り口から現れた女がそんな軽い口調で新八たちに向かって声をかけ
る。まるで戦場を選んだのを知っているような口ぶりである。まあ、実際にそうなのだが。
 身長はそこそこ、切れ長な目をした美女で、長い髪を後ろで一本のみつ編みにして
束ねていた。

「先に言っておきます。その灰色の本を燃やしていただきたい」


 女はそんな明らかに無謀と思われる説得を口にする。男の隣にはニタリと歪んだ笑
いを顔に貼り付けた少年がいた。
 なおも女は勝手に話し続ける。

「私の名はウンス。日本人ではなく、韓国籍。
 この子はガガール。魔物の子供だ。」

「よろじぐ」

 ガガールの日本語が変だった。そのわりに挨拶が丁寧なのにゴフレはおかしなもの
を感じた。ゴフレも魔界でガガールの事を見て顔見知りである。あまりしゃべらず、
まともに挨拶をするような知性はなかった覚えがある。本の持ち主のしつけのためだろうか。

「さて……」

「うるさい」

 怒気をはらんだ新八の声がウンスの言葉を遮る。新八が怒っているのを見るのは初
めてかもしれないと思う。ニット帽を乱暴に取ると、新八が低い声をウンスに向ける。

「久しぶりだな、ウンス。去年の夏以来だ」

『新八、知り合いか?』

 ゴフレの投げかけに新八は答えなかった。なにか語りたくないようだった。代わりに
にウンスが叫びをあげた。

「パ、パーガタリーか!?おまえまでこの戦いに参加しているのか!?」

(パーガタリー?)

 ゴフレの聞いたことのない単語が耳に入る。どうやら新八の事をその『パーガタ

リー』という単語で示しているようだった。なぜか自分の知らぬ知識が出てきたためか

ゴフレは慌てた。

『おい、新八!なんだ、パーガタリーとはなんだ!?』

「……人間が罪を償いきるまで御霊まで苦しみを受けることだ」

 苦りきった顔を、ゴフレには向けず、下を向いたまま言う。新八にしてはマトモな
解答だった。逆にそれが不信感に煽りを放つ。

『それと新八と、なんの関係がある?』

「……あとで、教えてやる。いくぞ!」

 新八が本を構える。灰色の本が力強く光ると、新八が声をあげる。ゴフレが制止す
るまもなくだ。いつもより好戦的に感じた。それは話したくない話題を流すように。


『ドルク!』


ルオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォ!!


 納得のいかぬままゴフレが狂獣化を果たす。魔法を唱えられれば、強制的にもそれ
に答えてしまうのが自分でも情けない。
 三倍に膨れ上がった筋肉を収縮させて、ウンスとガガールを狙う。
 ウンス達もそのままやられるほどやわではない。こちらも紫の本を構え、
呪文を唱える。


『アイキス!』


 ゴォォォオオオオ!


 腹の底が震える声を撒き散らすガガール。体が巨大化して岩のような大男に変化す
る。紫色のゴーレムであった。
 新八は、相手の能力もこちらと同様の巨獣化だとしり、舌打ちをうつ。決定的な攻
撃がないことをゴフレと共に戦い良く知っている。強力な属性攻撃で外皮の岩ごと砕
くしかないと、コレまでの戦闘で学んでいる。新八の手札にそんな都合のいいカード
はなかった。
 岩の獣と、ゴーレムが衝突する。公園はすでに怪獣大決戦になっている。出勤時間
と重なっていたてめ、公園を通る人間が野次馬のように集まってきていた。
 もうもうと上がる砂煙と、その中で戦う二匹の巨大な生物が戦っている。これだけ
で十分奇異であり、道行く人々の目をとめた。


『ドルセン!!』


 シッポから石の弾丸を打ち出すゴフレ。


『アイケル!!』


 左手に出現した不可視の円盾で石の鏃(ヤジリ)を払いのけるガガール。


 歓声が聞こえた。日本人全般にある『お気楽さ』を疎とむと、新八は大声
をあげる。

「じゃまだ!一般人はどっか散れ!」

 腕を横に振って、まわりの人間に叫ぶ!時にこのお気楽さはいいこともあるが、悪
いことが大半だと思う。ガガールのはじいた鏃が観客の目の前まで転がっていく。危
ない、と新八はすぐに心配していしまう。

「そんなこと気にしなければいいでしょうが……」

 ウンスは小さくそう言うと、言葉を叫ぶ。
 

『アイミール!!』

 ガガールが新八とゴフレ両方に向け、両手を振り下ろす。地を這う衝撃波が、一直
線に向かっていく。
 あまり強い圧迫力はなく、ゴフレは何事もなく岩肌ではじくが、新八は右に飛んで
避ける。かすったようで、腕に切り傷ができる。
 すぐにゴフレがウンスに跳びかかり、ウンスを牽制する。その間に新八は受け身を
取ってその勢いで立ち上がる。チーム内の助け合い、うまくいっている。

「そう言う余計な行動をパーガタリアル・ニューフェイスと罵られるのよ!」

『そうだ煉獄だ』

 ゴフレが思い出したように言う。やっと頭の中の知識庫からその言葉を探し出し
た。パーガタリーの日本語訳は『煉獄』。
 ちなみに、ゴフレは魔界の子供の中で一番の博識である。あまり誇示する事でもな
いので他の子供は知らないが、犬の年齢で育っているのでゴフレはすでに成人と同じ
精神年齢とそれに相当する知識を頭に持っている。

「さすがだな、ゴフレ。正解だ」

 自嘲するように新八が言った。なぜか息が乱れていた。

「生き地獄って言い方でもいいのよね、フェイス?」

「……黙れ」

 その声は明らかに、いつもの新八のものではなかった。怒っているモノではなく、
いかにも病弱な人間の声だ。ゴフレも少し心配して聞く。

『新八?』

「大丈夫だ」

 口の端から鮮血をしたたらせながら吐く言葉ではない。新八も今気が付いたのか、
慌てて口の端を手の甲で拭う。

「すぐに終わらそう」

『すぐには無理だろう』

「なぜだ?」

『私の能力ではあのデカブツを倒すことはできない。石では石に勝てない』

 じゃんけんのアイコの発想だが、確かにその通りだと改めて新八は納得する。自分
と同じ事をゴフレは考えているのを思い、なぜかすこし安心する。それはパートナー
としての実感によるものかもしれない。心の中に温かいものが広がる。

「……判っている、だが大丈夫だ」

 今日三回目の同じ言葉だった。

「新しい呪文が出た」

 灰色の本の1ページを広げてゴフレに見せてくる。確かに魔界の言葉が明るく光っている。

『……タイミングがドラマティックすぎてわざとらしいな』

 ゴフレがちいさく笑いながら言った。


『グランドルク!』


 キィィィィィィン!!!


 超高周波がゴフレの体から放出される。突然の質量増加に伴う体内での空間歪曲の
結果だ。体が次第に形を変えていく。獣から人へと。

「人型!?」

 ウンスが驚き、目を見張る。そう、ゴフレのシルエットが2M強の人型へと変わっ
ていく。
 口は突き出ており、耳はピンと立ち、体は岩肌のままだがごつごつ感は無くなって
いる。すらっととした体躯を二本の足で直立し支える姿は、獣人といった感じか。
 それでもなお、ガガールのゴーレムと1Mは差がある。だが、ゴフレにしてみれば
まったく負ける気がしなかった。力が内面からあふれ出てくる。
 自分の力に満足したゴフレは、ガラにもない事を言う。宣言をするように。

『終わりだ』



 右手が機械的に動いた。これは意識せずにもっとも効果的な場所へ拳が向かったと
いう意味だ。
 ガガールの腹に穴があく。濡れた紙を裂くようで、至極簡単にあいた気がする。音
も鳴っていたはずだが、まったく聞こえなかった。時間が止まった気もする。
 開いた腹に突っ込んだ手を引き、裂くように横に振る。横に割れるガガールの体。

「ガガール!?」

 ウンスがヒステリックな悲鳴をあげる。崩れ落ちるウンスに近寄り紫の本を取り上
げる。

「もう、いいぞ、ゴフレ。よくやった」

 新八が苦しげな声でゴフレを褒めた。ゴフレは新八にまともに褒められたことなど
今までなかった。笑顔で振り返るとそこにはうなだれた新八がいた。

「もう、終わりだ、ゴフレ」



 ゴフレが紫の魔本を切り裂いたあと、すぐに新八の元に駆け寄った。

『新八……。おまえは死ぬのか?』

 ゴフレは犬型に戻っていた。だいぶおかしな質問だが、ゴフレも動転していた。

「……たぶん」

口から血が出た。寄り添ったゴフレにもかかったが、その時はまったく気にならなかった。

『突然だな』


「……すまんな、黙ってた」

『動けないのか?』

「……今はもう、おまえが見えなくなってる」

『………』

 無言だった。新八が逝く前に、伝えたい言葉、伝えたい想いが、ゴフレの小さな胸
の中にあった。だが、ゴフレの言葉は出なかった。出すことができなかった。出した
としても、遅かった。

「……ありがとうゴフレ」

 それが、新八の最後の言葉であった。
 それは、ゴフレが戦いの権利を失った瞬間でもあった。










ゴフレ
 そのあと、ゴフレには何が起こったかわからなかった。唖然としている間に、新八
の死体もゴフレも、ウンスの住処に引き取られていた。
 ウンスの計らいで新八の遺体は、新八の死後すぐに、ウンスの配下の黒ずくめの男
たちによって運ばれていった。そして、いまゴフレの前に横たわっている。

「ゴフレ」

『……なんだ、人間』

 頭を上げると灰色の本を持った人間がいた。ウンスである。喪服の彼女は、初めて
会った時のちゃらちゃらした感じはなく、淑女の雰囲気さえも感じる。
 ウンスでは魔法を唱えることはできないが、会話をする為には魔本を持つことが必
要だった。

「聞きたいことがあれば、答えます」

 シンプルな喪服のドレスをきたウンスは、悲しそうにゴフレを見ていた。その暗い
顔を見るだけでゴフレは嫌気がした。

『そうだな……、特に聞きたいことはない』

「私たちの事は聞かないの?」

『人間たちの組織のことなど聞いても私の『腹』は満たされないだろう』

「そう・・・・・・ね」

 腹=心 だろうと、ゴフレの言わんとする事をウンスは理解する。また、ゴフレが
自分たちの事をすでに知っているのだろうと感じた。ウンスの持つ組織はそれほどま
でに大きい。

「ねえ、こっちから聞いてもいい?」

『なんだ?』

「彼の死因に心当たりはある?」

『ある。きっと私のせいだ』

 言葉に何の曇りもなくゴフレは言った。

「……」

 その言葉の強さにすこし引いてしまうウンス。

『魔本の影響だろう。魔本の燃料は人の心。魔法を使うときに消費するものなのだ
が、普通の人間ならば少し休憩すればそのぐらいは回復できる。だが、新八は違っ
た。次第にその絶対量が少なくなっていたんだろうな。使えば使うほどだ』

「……」

『ここからは私の予想でしかないが、その人の心というものは、人間の感情によって
起伏があるようだな。怨恨・恋愛など、その思いが強いほど魔法の効力も上がっていく。
 新八の心はどこか、他人と違った感情を持っていた気がする。その違う感情が、ヤ
ツの心を蝕んでいったのだろう。そのためかもしれないのだが、元々の原因は私があ
いつの前に現れたのがいけなかったのだろうな』

 ゴフレの言葉は、自分を責めようとしているようであった。

「でも、いつまでもそこで座り続けるわけにはいかないでしょう?」

『……』

「そこで黙って『オスワリ』してると、まるで、忠犬ハチ公みたいね」

『渋谷駅前のか……』

「あら、知ってるのね。驚きだわ」

『新八に連れられて行った事がある。二週間ぐらい前だ。「こいつは犬の鑑だ。ゴフ
レもこんな大層な犬になれ」とか言っていた』

「そう……」

 ブサイクな犬だけどね。
 こんな悪態の一つでも言ってやろうかと思ったが、ゴフレがコレでは言えなかった。

『ハチ公は……』

「ん?」

『ハチ公は私よりも幸せだったであろうな』

「……?」

『大切な家族を、大切なご主人が死ぬところを見ないですんだのだから』

 ゴフレの声が幾分小さくなった。声が震えてるとも思う。目には涙で潤んでいるの
かもしれない。背後にいるウンスからでは確認はできなかった。

「でも……死んだら何にもならないわ」

『その後どうやって死のうが、残されたモノの勝手だ』

「……でも」

 ウンスには伝える言葉がなかった。日本語に乏しいわけではなく、ゴフレの心から
の言葉に対しての自らの言葉が見つからなかったのだ。
 沈黙が二人を包む。痛々しい沈黙。




 ゴフレは、灰にされた新八の一握りを小さなビンに詰めてもらった。親指大の小さ
なビンは、ゴフレが頭に被った、新八の形見ともいえる、薄茶のニット帽の中に入れ
てもらった。

『世話になったな、人間』

「ほんとに焼いてもいいの?この本」

 灰色の本を持ち上げてみせるウンス。

『ああ、私の知っている、魔界に帰れる唯一の方法だ』

「別にこっちの世界で暮らしてもいいんじゃないの?」

『魔界は、きっとお前の考えているところより暮らしやすい。それにここにいても、
いずれ他の魔物の子供が現れ、私を倒そうとするだろう』

「そう……。
 それじゃ、魔界でも元気でね」

『すまない、人間』

 この犬は、いつまで経っても私の事を名前で呼ばない。もう、人間を名前で呼ぶこ
とはないのだろうか?

『そうだ、人間。一つ頼まれてくれないか?』

「なによ」

『厭なら別にいいが』

「……なによ、いってごらんなさい」

『新八の墓参りを頼まれてくれ』

「へ?」

『この国では、年に二度墓を参ると聞いたが?』

「……」

『命日とお盆。頼まれてくれないか?』

「なんで、なんで私がやんないといけないのよ」

『ん?なにか理由があってここまで新八の死後の事を世話してくれたのではないのか?』

「細かいところまで気にするのね、犬のくせに」

 ゴフレは、鼻で笑うと口を開く。

『頼むぞ』

「……」

 ウンスには無言で微笑することしかできなかった。

『さあ、燃やしてくれ』

「……わかった」


 懐から取り出したライターを灰色の魔本に近づけると、油でもついていたかの様に
青白い光をだして燃え始めた。
 同時に、ゴフレの体は透ける様にして消えていく。はかない泡のように。

『世話になったな、ウンス』

 体全体が消えかけたゴフレが、最後に一言こう言った。最後の最後でウンスの名を呼んだ。

「馬鹿ね、あんたも」

 今思うと、ゴフレは新八にそっくりだった。肝心なことは言わない。それなのに後
悔した様に道を歩く。亡くした物を思い出したように大切にする。
 人間が罪を償いきるまで御霊まで苦しみを受けること。煉獄。
 彼は人を殺さなかった。周りを気にしてばかりで、自分に不利になる生き方を戦場
でしていた。そして結局逃げ出した。人類全てが厭になったのだろう。
 ウンスは忘れないと、神に誓った。
 ニット帽の似合わない、この一人と一匹の事を。